チェス
チェス(英: chess)は、8×8の計64マスに区切られた市松模様の盤(チェス盤)の上で、2人の対局者がそれぞれ16個の駒を操作し、相手のキング(王)を詰める(チェックメイト)ことを目的とする二人用の戦略ボードゲームである。世界で最も長く親しまれ、最も知的負荷の高いゲームの一つと広く見なされており、芸術・科学・スポーツの要素を併せ持つ。各大陸で数百万人以上に親しまれ、対面での対局に加えてインターネット上でも盛んに指されている。国際オリンピック委員会(IOC)はチェスをスポーツとして承認しており、競技の国際的な統括は1924年に設立された国際チェス連盟(FIDE、フィデ)が担っている。
歴史
起源:インドとペルシア
チェスの最古の祖先は、一般的に「チャトランガ(Chaturanga)」とされる。チャトランガは、6世紀頃あるいはそれ以前のグプタ朝時代のインドで成立したゲームであると考えられている。その名は古代インド軍の四部門、すなわち歩兵・騎兵・戦象・戦車を象徴し、これらは現代チェスのポーン・ナイト・ビショップ・ルークにそれぞれ対応する。このゲームは東へ伝播して東アジアや東南アジアに広まり、シャンチー(中国象棋)や将棋(日本)といった類縁のゲームを生んだ。一方、西へはサーサーン朝ペルシアに伝わり、「チャトラング(Chatrang)」の名で知られるようになった。
7世紀にアラブ人によるペルシア征服が行われると、このゲームはイスラーム世界に受け入れられ、「シャトランジ(Shatranj)」の名で広まった。ムスリムの学者や棋士たちは、序盤・終盤・問題(詰みの課題)に関する論考を含む、最初のまとまったチェス文献を残した。また、チェスの用語の一部もこの時代に定着した。例えばペルシア語の「シャー(shah、王)」は、英語の「チェック(check、王手)」の語源である。
ヨーロッパへの伝播と近代チェスの成立
チェスは9世紀から10世紀までに、ムーア人支配下のスペイン、ビザンツ、地中海の交易路を経てヨーロッパに到達した。このゲームは中世の宮廷文化の中で栄え、貴族のたしなみの一つとみなされた。1475年から1500年頃にかけて、主に南ヨーロッパ、とりわけスペインとイタリアで発展した一連の画期的なルール改定により、クイーンとビショップが現代の長距離型の動きを獲得し、ポーンに関する規則も変更された。これらの変更はゲームの展開を劇的に加速させ、今日「近代チェス」あるいは「クイーンズ・チェス」と呼ばれる形式を生み出した。
19世紀には競技としての職業化が進んだ。ロンドンやパリなどの都市に組織的なクラブが誕生し、1851年のロンドン大会を画期として国際トーナメントが始まり、対局時計と記譜法が標準化された。最初の公式のチェス世界選手権マッチは1886年に行われ、ヴィルヘルム・シュタイニツがヨハネス・ズーケルトールを破った。1924年には、国際競技を統括するためにパリでFIDEが設立された。
20世紀以降
20世紀のチェス界は、歴代世界王者による支配の時代であった。ホセ・ラウル・カパブランカ、アレクサンドル・アレヒン、ミハイル・ボトヴィニクをはじめ、ソ連の強豪棋士たちが長く王者の座を占めた。冷戦下の1972年、レイキャヴィクで行われたボリス・スパスキーとアメリカのボビー・フィッシャーによるタイトルマッチは、かつてない世界的な注目を集めた。その後の王者には、アナトリー・カルポフ、ガリー・カスパロフ、ウラジーミル・クラムニク、ヴィスワナータン・アーナンド、そして2013年以降の王者で史上最高評価値を記録したマグヌス・カールセンらが名を連ねる。2023年には丁立人(ディン・リレン)が中国人初の男子世界王者となり、2024年にはインドのドンマラジュ・グケシュ(D・グケシュ)が18歳で史上最年少の世界王者となった。
女子チェスも並行して発展し、女子世界選手権は1927年に創設された。ヴェラ・メンチク、ユディト・ポルガー、侯逸凡(ホウ・イーファン)らが代表的な棋士として知られる。
ルールと対局の進行
盤と駒
チェスは、明色と暗色のマスが交互に並ぶ64マスの正方形の盤上で行われる。各対局者は、キング1、クイーン1、ルーク2、ビショップ2、ナイト2、ポーン8の計16個の駒を持ち、いずれも自陣に最も近い二段に配置して対局を開始する。白(先手)が最初に着手し、以後は対局者が交互に手を指す。着手の放棄(パス)は認められない。各駒の動きは次のとおりである。
- キング:全方向に1マス移動できる。
- クイーン:縦・横・斜めのいずれの方向にも任意のマス数だけ移動できる。
- ルーク:縦か横に任意のマス数だけ移動できる。
- ビショップ:斜めに任意のマス数だけ移動できる。
- ナイト:ある方向に2マス、それに垂直な方向に1マスという「L字型」に移動し、途中にある駒を飛び越えることができる。
- ポーン:前方に1マス(初期位置からは2マスも可)進み、敵駒の捕獲は斜め前方1マスで行う。
駒は相手の駒のいるマスへ移動することで捕獲し、捕獲された駒はゲームから取り除かれる。
特殊なルール
近代チェスには3つの特殊規則がある。キャスリングは、一定の制限条件を満たす場合に1回だけキングとルークを同時に動かすことを認めるルールで、キングの安全確保とルークの活用を目的とする。アンパッサンは、直前に2マス前進したばかりの敵ポーンを、あたかも1マスだけ進んだかのようにして捕獲できるルールである。プロモーション(昇格)は、ポーンが相手陣の最終段に到達した際に適用され、そのポーンは同じ色のクイーン、ルーク、ビショップ、ナイトのいずれかと必ず交換されなければならない。
勝敗と引き分け
対局の目的は相手のキングをチェックメイトすること、すなわち攻撃下にある相手のキングを、逃げることも駒で防御することも攻撃駒を取ることもできない状態に置くことである。また、対局はいくつかの様式によって引き分け(ドロー)に終わることもある。すなわち、手番のある側が王手を受けていないにもかかわらず合法手を持たないステイルメイト、同一局面の3回反復、双方50手ずつ連続してポーンの移動と捕獲がなかった場合に引き分け申請を認める50手ルール、チェックメイトを強制するのに十分な駒が残っていない駒不足、そして対局者双方の合意である。
対局の三局面と戦略
チェスの対局は慣例的に三つの局面に分けて論じられる。序盤(オープニング)は最初の数手の段階であり、対局者は駒を展開し、盤の中央をめぐって主導権を争い、おもにキャスリングによってキングの安全を図る。序盤の理論は広範に体系化・命名されており、ルイ・ロペス、シシリアン・ディフェンス、クイーンズ・ガンビットなどがその例で、記譜法の体系を用いて分析される。
中盤(ミドルゲーム)は序盤に続き、戦闘が最も多く行われる局面である。ここでの成功は、戦術と局面理解(ポジショナル・プレイ)の統合にかかっている。戦術とは、脅し・捕獲・連続手(コンビネーション)を含む短い手順のことで、ピン、フォーク(両取り)、スキーワー(串刺し)、開き攻撃(ディスカバード・アタック)、駒犠牲(サクリファイス)などが代表的である。一方、局面理解は、ポーン構造、駒の機動性、キングの安全、主要マスの支配、駒同士の連携といった長期的な要因を扱う。
終盤(エンドゲーム)は多くの駒が交換された後に始まる。終盤の技術には、キングの活性化、ポーンの昇格、対王(オポジション)、軽駒(マイナーピース)エンディングにおける勝ちと引き分けの可能性といった主題が含まれる。終盤理論は膨大な蓄積を持ち、最善手が指された場合の理論的な勝ち・引き分け・負けがどの局面に属するかが確立されている。
競技チェス
競技チェスは、トーナメント、マッチ(タイトルマッチ)、チェス・オリンピアードのような団体戦、そして持ち時間の区分、すなわち思考時間の長いクラシック、ラピッド、高速形式のブリッツとバレットによって組織されている。郵便や電子手段を用いて行われる通信チェスは資料の参照が認められ、独自の選手権体系を持つ。
棋力の測定には、アルパド・エロが考案し1970年にFIDEが採用したエロ・レーティングが主に用いられる。FIDEはレーティングの水準と実績基準(ノーム)に基づいて終身タイトルを授与しており、最高位はグランドマスター(GM)、以下、インターナショナルマスター(IM)、FIDEマスター(FM)、候補マスター(CM)と続く。チェス世界選手権は、現王者と、予選サイクル(現在は挑戦者トーナメント「カンディデーツ・トーナメント」が頂点)を勝ち抜いた挑戦者とのマッチによって決定される。
コンピュータとチェス
チェスは長らく人工知能研究のベンチマークであり続けてきた。コンピュータチェスの初期のプログラムは1950年代にまで遡り、探索アルゴリズムとハードウェアの進歩とともにその強さは着実に向上した。画期は1997年に訪れた。IBMの「ディープ・ブルー」がマッチで世界王者ガリー・カスパロフを破り、トーナメント条件の下で現役世界王者に勝利した初のコンピュータとなったのである。その後、ストックフィッシュ(Stockfish)などのエンジンはいかなる人間のプレイヤーをもはるかに上回る強さに達し、現在ではあらゆるレベルの棋力向上のための分析と準備に不可欠な道具となっている。
2017年には、DeepMindの「アルファゼロ(AlphaZero)」が新しいアプローチを実証した。自己対戦による強化学習のみでチェスを学習し、特徴的で動的な棋風をもって人間を超える強さに到達したのである。以後、ニューラルネットワーク型エンジンが標準となり、エンジンによる解析は、数億規模の対局を収録しトップレベルのイベントをライブ中継するオンラインプラットフォームに組み込まれている。
変種と類縁のゲーム
標準的なチェスのほかにも、数多くの変種チェスが親しまれている。チェス960(フィッシャー・ランダム・チェスとも呼ばれる)は、ボビー・フィッシャーが提唱したもので、後列駒の初期配置を無作為化することにより、暗記に依拠した序盤理論への依存を減らすことを狙いとする。これはFIDEの正式承認を得て、世界選手権も開催されている。チャトランガから派生した、あるいはこれと並行して発展したチェスの地域的類縁には、日本の将棋、中国のシャンチー、韓国のチャンギ、タイのマックルックがある。その他の変種には、盤・駒・ルールを改変したものがあり、チーム戦形式のバグハウス、スリーチェック、キング・オブ・ザ・ヒル、数学的チェス問題で研究される各種のフェアリーチェスなどが挙げられる。
文化的影響と意義
チェスは世界文化において独特の地位を占めている。「王者の遊戯(the royal game)」とも呼ばれ、何世紀にもわたって戦略・政治・人間の知性のメタファーとして機能し、文学・美術・映画・音楽の随所に登場してきた。ヴィルヘルム・シュタイニツの先駆的な理論から現代の分析書に至る学術的業績の対象ともなっており、チェスの研究は心理学・認知科学・教育学・コンピュータ科学の研究にも寄与している。世界各地の教育プログラムでは、生徒の集中力・計画力・問題解決能力を育む手段としてチェスが活用されている。
21世紀初頭には、対局と指導を世界中の利用者に開放したインターネット・プラットフォーム、主要イベントの注目度の高い中継、そして2020年のテレビシリーズ『クイーンズ・ガンビット』のような文化的現象に後押しされ、めざましい大衆的復興が見られた。今日、チェスは推定で数億人の人々に親しまれており、その親しみやすさと奥深さの両立は、人類の最も称賛された知的営みの一つとしての地位を今後も確かなものにし続けるであろう。
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